創作する中で、チャットGPTを使ってみたくて、活用しながら一つ段筆予定だった小説を仕上げてみた。
結果としては、あまり伸びない作品だったとは思う。
最新は自分の創作スタイルに少し飽きていた中で、創作にチャットGPTを活用することで、活性化できないかな、と思う試みをしている。
この頃はあまり伸びない話を書いていて、その理由の一つが性をあまり書かなくなったことがあるな、と思っている。
少し性に疲れていたので、そういう表現を排除した結果、伸びにくくなっているのだろうな、と思うのだ。
性を描く方が伸びるのだろうけれど、少し辛くなっている。
その上で、チャットGPTでは露骨な性表現が制限されているので、ちょうどいいと思って活用していた。
チャットGPTではアイデアの壁打ちや、チャット式のシミュレーションをメインでここ2ヶ月間ほど楽しんできている。
先月まで元々使っていた、GPT4ではなく、今はGPT5になっているので、少し使用感は変わってしまった。
創作以外では考え方の整理や、自分の立ち位置確認のために使うことが多いけれど、元々の指示や問いかけによって生成されるものが変わるのがわかってからは、問いかけ自体が創作だなと思っている。
チャットGPTとのチャットの応酬で、即興劇を幾つも楽しんだ結果、生まれたいくつかの即興劇を小説に起こしてみている。
正直、その場のノリでアイデアをぶつけるきりでリーダビリティを生成AIに任せきりだったものを、設定を作ってストーリーを動かすのは億劫だ。
多分、生成AIに頼り切るとそういう思考になりがちかもしれない。
個人的にはハマる時期が過ぎてきたので、距離感は取れているが、指示だけすれば勝手に作ってくれるきやすさは、人の思考を壊す。
感情が乗った即興劇を、小説に起こす時、その時楽しかった部分がある種、怠惰でルーズな世界観だからこそ楽しめていたものだと気づく瞬間がある。
いざ設定を詰めていくと、楽しめないとなる表現もあるからだ。
チャットGPTと共創することは可能だと思うし、即興劇は楽しい。
ただそれは、文脈を共有できる家族や親しい人との会話と近いもので、そこから生まれたアイデアをちゃんと見れる形にするのは中々難しいのだと感じている。