【断捨離に執着している?】もの減らしで罪悪感も期待もポイ捨て

世界がコロナ禍を迎える少し前に、断捨離をしようと決めていた。

その頃から部屋のものを減らし始めている。

かれこれ5年ほどになるだろうか。

きっかけは衣替えの時に、人を恨みたくなる謎の心理を深掘りした結果、これは服が多すぎるからだ、と気づいたことだ。

衣服をどんどん私の元へ渡してくる上の世代の女性たちにより、私のクローゼットはお下がりばかりだった。

それを毎年出し入れする作業の困難さに、自然と恨みが募っていたのだと、気づいたのだ。

以前このサイトがリニューアルする前に、断捨離やミニマリズムに関する記事を掲載していた。

その記事とこの記事は話のコアが同じだ。

この断捨離によって、上の世代をしっかり切り離す、という作業にフォーカスできたと感じている。

かりに質のいい服であっても、ブランド品であっても、私にとっては予定外に入ってきたものだ。

なまじ同じ性別であるがゆえに、あるいは体型が似ている、と彼女たちが認識しているがゆえに、服をくれようとしていた。

服を多く持っていることがいいことだ、と思っているからこその行動なのだと思う。

ありがたい面もあるけれど、私からすれば、服は管理コストが高い。

どれも好みではないものも多くて、着てみてもワクワクしないものも多い。

もらってありがたい反面、負担も大きかったのだと今になっては分かる。

性別による偏見だと言われてしまえばそれまでだけれど、女性はしばしば相手と一体化しようとすると感じている。

私のことを、自分の若い頃に似ている、と上の世代の女性たちは言っていた。

その一体化により、自分の何かを受け継いで欲しいと思うことがあるようだ。たとえば、それは自分の服であったり、自分のしている仕事であることもある。

この感覚は仕事先でも感じたことがある。

右腕でいてほしい、秘書や執事のような立場でいてほしい、それが同性ならば理想的だ、と思う人がいるようだ。

ただ、その期待に私は応えてきてはいない。

ともかく、断捨離においては、身内の女性の服がネックだった。

捨てることに罪悪感があるからだ。

とは言っても、堆積する服やそこにまつわる思い出や、ほこりは邪魔なものでしかない。

罪悪感や自分を取り戻すことに関する書物を読み漁り、人の期待に応えない自分を慰撫しながらも、ものを捨てて身軽になっていく。

そして、自分の服を精査した後は子どもの衣服とグッズがネックとなる。大変な第一子育児の思い出がベッタリとついていて、げんなりとするからだ。

もう、ここにいたくない、この環境は嫌だ、飽きた!とある日思ったのをきっかけに、子どものものをゴミ袋に一旦つめた。

散らかる部屋にうんざりしていたし、第三子を望むかどうかを検討するのも面倒だったからだ。捨てに捨てたら、このまま死んでも後悔しないように身軽になろう、と心がすんっと軽くなり、子どもを授かった。

その後は第三子を出産するにあたって、ギアを一回入れて、かなりのものを捨てている。

その後、二度の引っ越しの時に、さらに、持ち物をスリム化した。

第四子出産、成長に伴い、育児グッズをかなり捨てて今はもっとスリム化している。

そして今度は、減らすことに執着していないか?と問いかけている段階だ。

さらには効率化よりも、もう少しときめきにもフォーカスしたい、と思っている。

やましたひでこさん、近藤麻理恵さん、ミニマリストしぶさん、ミニマリストtakeruさん、最近はオノチャンさんなどなど。

断捨離や片付け、ミリマリストの書籍や動画を見て、アイデア収集をしている。

何か体系的なものはないか?と探して、整理収納アドバイザーは準一級まで学んでみた。

ミニマリズムは禅に通ずるとの話を聞き、鈴木大拙さんの書籍も読んでみている。

何かを分かったような気持ちになっては、ミニマリズムや断捨離は生きていくことと同じなので、現状で得られる分かりやすい結果なんてない、と気づき、何も分かっていないことを知る。

死ぬ前で続くことなのだ、と思ったら、途方もないことだな、と思う。

まだまだ道は途中だけれど、自分自身で必要とするものは、そう多くないと感じている。

思えば昔から本やコミックが好きだし、かつてはゲーマーだったので書籍やゲームを大量に持っていたけれど、結果としては長く手元に置いておくことはなく、友達にあげてしまったり、売ってしまったり、兄弟にあげてしまったり何らかの形で出ていってもらっていた。

私はものを持つことに固執する性格じゃないようだ。

「売らないで取っておけばいいのに」「本当にいいの?」と家族には言われたこともあるけれど、新しい出会いのためにものをあっさり手放すこともある。

充分役目を果たしてくれたから、ありがとう、と言って手放す。

ミニマリズムに関係して自分としての革新的なことは、パソコンをMacBookに替えたことだ。ミニマリストの中には、特定のガジェットを勧める人が多かった。アップル系だ。

ちょうどペンタブレットが壊れたタイミングでiPadとペンを購入し、その後にパソコンをMacBook Airにした。Proのスペックは今のところいらないので、Airにした。

iPadを購入したことで、デジタルでコミックを描くことを覚え、MacBookにしたことでiPhoneとの連携が楽なことを知る。

効率化するツールを使ってみる経験もまた、私にとってはキャリアップだと思っている。

断捨離やミニマリズムに危険性があるとすれば、効率化を重視しやすいことだと思う。

過剰に効率を重視し始めれば、そもそも肉体を持っていること自体が、効率的ではない、と恐ろしい考えが頭によぎる。

肉体ほど、非効率的なものはないと思う。だとすれば、肉体を軽視することが何よりもミニマルなのだとは思う。

そもそも私は体を喜ばせることが好きなのに、五感で感じることが好きなのに、それは本末転倒なので、その案は没だ。

フィジカルの楽しみは失わずに、ストレスと減らすための断捨離は続行していこうと思っている。

現状、上の世代との関係は、断捨離を経て最良の状態になっている。

また、物を減らしたら自分の価値観がクリアになってくるので、人と会話する時に、自分の考えを伝えるのが上手くなってきていると感じる。

自分の思考や視野がクリアになると、人の生活の些細なアイデアやその人の気遣いをはっきりと感じられるようになるからかもしれない。

あくまでもサンプル1の私の話だけれど、少しでも誰かの生活の参考になれば、と思う。