サンプル1の自己紹介

サンプル1の話をしよう。


自己実現や自己理解、自分らしい生き方などの色々な本を読んできたけれど、自分軸で生きて行く方法を探すとき、必ず出てくるのは自分自身と向き合うことだ。
そして自分自身が生きる人生は、あくまでもサンプル1でしかない。


切ない現実として、今隣で眠っている家族も自分ではないという意味では他人だ。
どんなに愛していても、その人と完全に一つにはなり得ない。
別の体を持ち、別の思考を持ち、別の人生を持っているから。
愛おしき他人、それはここに来てくれたあなたもそうだ。



私は常にサンプル1でしかなく、N数が足りないとでも言われるような話しか、できない。
サンプル1としての私の話を少しだけしよう。




私は子ども関係の仕事へのスキルを手に入れたくて、子どもを産んでいる。
子どもを持つと、キャリアが途絶えると言われるようだけれど、私はそんな巷の話を知らず、聞き入れず?ぼんやりと生きていたので、これまでの人生経験の無さに絶望し、結婚し子どもを産んだ。
そして色々なことを学んでいる。
キャリアアップのために、子どもを産もうと決めたものの、その道は意外に険しかった。


「育児が大変だってなんで知らなかったの?」「散々色んな人が語ってきたことじゃん」

と言われてしまいそうだ。
そう、知らなかった。
社会的に女性が被っていると言われる子育てに関するネガティブな要素を、私が鈍いせいで見逃していたからかもしれない。


身体の機能を使ってみたかったし子育てがどんなものなのか、単純に知りたかった。知的好奇心があったのだ。
そして、わざと地元ではない場所で子育てすることで子育ての難易度を上げてみていた。
これは、しなくていい苦労だ。
でも、近い場所でレベル上げするのに飽きたから、しなくていい苦労をしにいく。
ひとえに、ゲーマーだからだ。


私の中には何人かの先例が頭にあり、結婚せずにこれまでの仕事を続けて色々言われる人、結婚して生活を一変させた後に、他責志向で周囲への愚痴が多い人、人生の挫折や病気により引きこもりになってしまった人……。などなど。
どんな局面でも、人は生きて行くのが難しいらしい。


世間の眼差しという名を借りた、一個人の発する評価や評判を信用していたときには、人生経験とは、子どもを持つことなのか?と思っていたこともある。




私自身は結婚しろ、子どもを産めとは言われたこともなく、むしろ家に残れと言われていた。
かつて、母がよくある、父不在型、子ども密着型の母親に進化していた時期には、自分の中に幼児期から確実にある、生物学的メスの要素は、家では見せにくいものになっていたように思う。


家臣や執事、あるいは聞き分けのいい偽彼氏のような振る舞いを、身内の女性から求められることになっていた。
……と感じていた過去がある。
ある種の女性は男性よりも、女性に甘えたくなるらしい。

「女の理解者は女でしかない」と、言われたこともある。
主語が大きいと言われるような話だけれど、そこはまあ過去の話だ。


それに、女性からの期待と、自分自身の性に対する取り組み方は別問題だった。
そこに関して、いい子、物分かりのいい子であろうとしたことはない。
早く結婚したい、と思っていたし、子どもを産みたいと思っていたけれど、家族に対して発言したことはなかった。


そして、上の世代や親族からの期待をしっかり切り捨てる仕事には、時間をかけてきた。
下の世代に旅立たないで欲しい、と思うことがあるらしい。


対話をして、それでも分かり合えなくて、罪悪感を抱きながらも自分の望みは捨てずに、愚直に生きていた。

そこからの道のりも意外に険しかったけれど、経験値にはなっている。


愛しているけれど、だからと言って相手の言いなりにはなれない。
言いなりになるのは楽しくないし、それでは全くゲーム性がないからだ。
私にとって五感あるいは六感が満たされるか、知的好奇心が満たされるかどうか、が重要らしい。
環境が安全でもその安全が続くと退屈でイライラしてきてしまうし、行動している人が羨ましくなってしまう。

なのでできる限り動きがある方、ゲーム性のある方を選ぶようにしている。

現状ではかなり制約はあるけれど。できる限り、動かそうと努めている。



そんな生物学上女として生きている私。

ここではn1と名乗ろうと思う。

改めて、初めまして、n1です。


Webにおいては、ここではない場所で小説を書き散らしたり、Webライターとして働いたり、あるいは占い師として鑑定をしたりしていた。
リアルの経験では子どもと関わる仕事の経験が一番長い。ゆえに、子育ては仕事の延長線上にある自覚的な実験だったのだ。


教育に携わりたいだなんて大義名分を持っていた頃もあったけれど、その実は、楽しかった子ども時代の自由さへの憧憬でしかなかったと知る。
今はそうではないけれど、少し前、私は置いて行かれた、という感覚が強かった。
どの友人もどんどん自分よりも先に旅立っていってしまう、という意識があったからだと思う。


いつまでも子ども時代に置き去りにされる自分。
そんな風に思っていたことがある。
そんな思いは創作に向けられるので、結果としてオーライだった。


私は恋愛というものができないようだ。その部分において、置いて行かれた感が強いのだ。

恋愛的に好きな人というものと、好きな友達、性的に「あり」な相手、との区別が分からない。

子どもの頃からだいぶ経っても、好きな人の話というのがやっぱりうまくできないのだ。

割と誰でも好きになれるし、衛生観念が違いすぎるとか、思考回路の断絶が大きいとか、よほどのことがない限り友人になれると思う。

ただ恋がよく分からない。
私の中には恋人の概念がない。

親しい相手は友人か家族だけで、そこに性愛があるかないかだけの分類だ。上下関係もあまり意識したことがない。
恋人というものを得たい思ったこともなければ、夫と結婚した今もなお、恋人はいたことがない、と思っている。
なんなら、セフレと結婚したのでは?と思っている節があるのだ。


これがサンプル1としての私のちょっとした自己紹介。


そして突然だけど、私はここに来てくれた人をハグしたいと思っている。
人種も国籍も、年齢も性別も、信条も個人的嗜好も、関係なく、ハグしたいと思っているのだ。


存在してくれてありがとう。
あなたの存在そのものが愛だし、存在していることだけに意味がある。
何かを成し遂げていなくても、あるいは成し遂げていても。
人生に迷っていても迷っていなくても、存在しているだけで、生命としては成功なんだよ、って。


占い師としては、お客様へのチアアップ活動をしてきた。
これまでの人生を振り返ってみて、これからの人生に役立てたい方を鑑定させてもらったことがある。
大丈夫、その時で重要なことに運を使ってきたんだ。どんな道でも、正解だよ。
そう伝えてきたつもりだ。

そうして人の人生のほんの一端に触れさせてもらうことで、私自身も励まされていた。人の人生に触れると、愛おしさが溢れてくる。

常に与え、与えられているのだとお客様から教わっていた。
ただ、時間的な制約があるため今は鑑定はしていないけれど。




私がこの身体を使って愛を伝えられるのは、子どもたちや、夫、もう範囲を少し広げれても親族や友達がせいぜいだ。
ただ、Webサイトを介せば、世界に届く。


どんなサンプル1を持っているかどうかわからない、今ここにきてくれているあなた。
あなたも存在してくれてありがとう。

I love you.

ABOUTこの記事をかいた人

たった一人分のサンプルでしかない人生を生きる人