絵の公開がテロ行為になる時

絵の公開ってテロ行為なのかもしれないという話。

昨年iPadで絵と漫画を描いてみた。

これまでは、人を描いたイラストや漫画をほぼ公開したことがなかったところを、実験的に公開してみた。

これまでにも占い師のアカウントで、集客用にイラスト作成をしてブログを作っていたり、Instagramに絵をあげたりしていたことはある。

ただそれは人物を描いたものではない、キャラクターちっくなものなので、今回とはテイストが違うものだ。

今回は主に人物を描いた絵をpixivに投稿してみたり、挿絵付き小説や漫画を投稿サイトにあげたりしてみた。

楽しければいいやー誰か見てくれるかな?レベルのもので、深く考えていなかったけれど、結果として今はほぼ非公開だ。

そこまで至るまでに、絵を公開すること自体が、テロ行為かもしれない?と危惧した流れがあった。

ネットのおびただしいコミック広告やイラスト広告を見て、ややゲンナリしていた中で、自分の描いているものも、結局似たようなもんだなと思ったのだ。

イラストや漫画の一場面は、見ただけで印象がついてしまう。

見たくなくても視覚情報として、誰かも網膜に残ってしまうことを思うと、これはテロ行為だなと思ったのだ。

単なるノイズやダストとしてでも、誰かの視覚情報となるとするなら、気軽に見せてしまうのはどうなのか?

特に人物を描いたもので恋愛ものを含む、性的な場面もある物語のものはテロ要素が上がる。

ちいかわやすみっコぐらしなどのメジャーキャラクターや、ネットミームになっているようなゆるキャラはともかく、人の形をしたキャラクターは、やはり人として認識されるから、キャラクター設定がどうであれ、媚態は忌避される。

身体のラインを強調することも、恋愛の場面いたものを公開することは、結局大なり小なりテロの可能性があると思う。

私が作ったものには恋愛・性的な場面を描いたものもあったし、実験的な公開だったので、今回は非公開にした。

個人的な経験からすれば……。

リラックス時間に気軽なネット散歩として、スマホで調べ物をしていた時、関係のない性的・恋愛的な広告漫画で画面を塞がれたら、絶望する。

それ見たくないけど、なんでそういう風に私に対してパーソナライズしてきたの?そんなの好きだと思ってる?とアルゴリズムやターゲティングの雑さを考えると、さらに絶望する。

同じことを自分のイラストや漫画がしていないか?と同時に考えて疲れていたのだ。

見たい人が見るならそれはテロではないけれど、ネット上で見たいものだけを見るために条件検索するためには、それなりに技術がいる。

さらにフィルタリングやガードアプリを入れるとか、自衛行為が必要だ。

見たくなかったのに見てしまった、と言われても困ってしまうし、何より絵は小さい子どもの目にも触れる可能性がある。

楽に生きる中で断捨離をしているのに、余計なもの背負い込むのは勘弁なので、今回は絵の公開を断捨離したのだ。

もしそれが自分にとっての傑作なら公開したままだったと思うけれど、個人的に申し訳なさがありながら公開していたものだった。

大丈夫ですかねぇーこれ?出してもいいですか?という卑屈さがある作品は小説でもすぐに非公開にしている。

その卑屈さがあるときに、作品が伸びた、はねたことがないからだ。

結果として絵や漫画を非公開にして楽になった。

とはいえ、絵を描くことはやめていない。

人に見せることを想定していない創作は楽しい。

そして自由だ。

報酬系を刺激するような、PVやブックマーク、お気に入り数の変動を見るのが楽しい時があるけれど、一時的な刺激に過ぎない。

カフェインと同じで、報酬系刺激によるドーパミンドバドバは、息切れも早い。

基本的には人のことはあまり興味がないはずなのに、テロ行為をしているかも?という点には一抹の危惧がある。

相手がどう感じるのかはコントロールしようもない部分だからだ。

ネット上でテロ的に見たくないものを見たことがあるし、絶望感したことがある。

同時に自分もしてないか?というのは、自作の公開コンテンツがある人は、持ったことがある問いだと思う。

そこで少し思考が不自由になる。

それでも、公開するほうがいいのか、非公開にするほうがいいのか。

商用でないものは、自己判断するものが多い。

責任を取るまでもない、思い入れも特別感もないコンテンツならば、非公開にした方が無難だとも思う。

自由にネットを歩くために、自分のテロ行為の種子を取り下げたという話だ。