創作と広告の蜜月関係

ネットの広告が加熱しすぎていて、スマートフォンでサイト検索をすると本文が全く見えなくなるので、アドガードを入れた。

子どもに調べ物や学習用、Wi-Fiフォンして渡しているスマートフォンは、規制をかけて対応している。

電子コミックの性的要素のある広告に規制がかかるというニュースを見た。

LINEニュースの間に強引に挟み込んでくるコミックの広告は、この二、三年で加熱している。

ネガティブな要素、いじめや不倫、寝取られや婚約破棄などなど、そういう切り口からの広告が多い。

LINEやyoutubeや、Instagram、Xもか?性的な場面を切り取る広告はインプレッションが取れるので、電子コミック会社が広告を増やしたというのもあるのかもしれない。

かつてはコミック広告のリンク先には行かないで、その物語を想像するとか、着想を得るとか、そういった遊びをしていたことがある。

漫画も途中の巻から読むとか、漫画雑誌も途中の話から読むのが好きなタチで、勝手に想像するのが好きだ。だから、コミック広告から中身を連想する遊びは結構好きだった。

ただ、最近は物語のスタートや現代・異世界などの設定の違いはあっても、展開のパターンが似ているものが多い。女性ものの広告がパーソナライズされているらしく、パートナー間で婚約破棄や不倫、浮気があり、新しい相手に巡り合って幸福になるとか、元の相手が追ってきてスッキリ解決するとか。

そういったストーリーが表示されがちだ。

少し前の小説や原作をコミカライズして、少しずつ話数が増えているものを広告に出していることも多いからなのだと思う。

物語にもトレンドがあるので、小説や原作界でのブームから少し遅れて、コミックでのブームが到着しているイメージだ。

小説投稿サイトに投稿している身からすれば、参考になる部分もある反面、同じようなものばかりだなぁ、と食傷気味にもなっている面も多分にある。

物語がうるさい、愛情表現や性描写がうるさい、と感じる広告が多い。

個人的な嗜好では、真正面からアピールされている感じが、鬱陶しくなっていた。

主人公がこの人に求められています、主人公はこの人たちに復讐します、など真正面から言われると疲れる。

もう違う方向から来てほしい。

とはいえ、見せ場を切り取るのは、広告としては正解だ。

けれど、たとえば恋愛関係や性的な関係の話でも、匂わせるレベルじゃなくて、行為そのものを広告に入れているものもあるので、意図せずに出てくると困ることも多かった。

面倒くさいことが嫌いなので、見たくないものはガードしようと思い、今ではアプリを入れている。

アドガードというアプリだ。

アドガードを入れると、スマートフォンでサファリ検索をすると弾いてもらえるものも多いので、爽快になる。

ただ、LINEからのリンクで元のサイトに行くと、パーンと広告が出てきていたので、LINEのリンクからサイトに行くのには気をつけていた。

特に意図せずに目にする露悪的、露性的なコミック広告は、あまり好みじゃない。この頃は特に思っていたので、規制はありがたい。

まず広告数が多すぎるし、センスがちょっとなぁ、感じるものが多かったからだ。そのセンスというのは、チラ見せでサクッとリンク先に行ってね、じゃなくて、広告自体で内容を見せすぎるという部分で冗長さやダサさを感じる。

コミックは描くのにとても時間がかかるのに、広告にしたら視覚的な情報として一瞬で切り取られて公開されてしまう。

作るのには工程がかかっているのに、広告の出稿は簡単なんだろうな、と思う。

見せ場を切り取って、煽り文句を字幕のように入れて広告にしてしまえばいい。

とはいえ心を揺さぶるコミックは、性的な部分だけじゃなくて全体を通して面白いのだから、その部分だけを売りにしてしまうのはもったいない。

ネットでは見せ場を最初に持っていく、というある種の定石がある。

例えばウェブ記事ではまず結論から書け、と言われてきていた。大抵の人は、記事のコアの場所だけ見るから、最初に結論を言わなければ、離脱されるからだ。

それも分かる。

たとえばコミックの広告でも、何が見せ場となる物語なのかが絵で見て分からなければ、まず読んでみようとは思わない。

ネットでやりにくいな、と思うのは、タイトル詐欺、サムネイル詐欺をしなければ、そもそも見てもらえないということだ。

ネット上では「チラッと見せる」「面白そうだと匂わせる」ことの難易度が上がっている。

コミックの広告の場合には、「この絵が合わない」「この物語展開、このキャラクターの思考が合わない」と吹き出しや場面の絵ですぐに分かってしまうから、漫画雑誌のようにパラパラと読んでみようとは思わない。

小説なんてもっと見てもらえないと思う。

ここでは、自戒がある。

性的な部分を全面に出せば、読んでもらえる機会は増えるからだ。ただ、性描写の度合いによっては、一部の層にしか届かなくなる。つまり諸刃の剣となる。

恋愛関係を描くときには、やっぱり性的な部分を描かないと読んではもらいにくい。ネット上だからだと思う。ネガティブな記憶や性的な感情を煽るような扁桃体への刺激が強いメディアだからこそ、その部分が期待されている。

この時、ある種広告を出稿するようなイメージで、タイトルやあらすじを書く。フックとなるワード・トレンドとなるワードを意図的に入れる点において、広告とも近い。

ただ中身はユーモアありきで書いている。

伝わっているかどうかは分からないけれど。

まだまだ未熟だが、個人的には、性的な部分や恋愛関係の「美味しい部分」にフォーカスしつつも、基本的には明るいものを書くことにしているし、暗い部分をフォーカスするときには、皮肉込みの表現にするようにしている。

性行為だけではなくて、性認知や性意識も明るく描きたいし、暗く書くときには私にとって皮肉が必要だ。

一部のネット世界にある性的暴力に近しい愛情関係や、類する性的な描写に関しては、皮肉込みではないと描けない。

創作する中で、「こんなのないんだよ、ファンタジーなんだよ」と思っている。

皮肉という意味では、思考が偏りがちな主人公やヒーロー、登場人物がいるときには、あえて逆向きの皮肉的な要素を入れることにしているのだ。

例えば、広告コミックにありがちな一例には、男性が自分の愛情を伝える手段として、女性に対して普段は優しくないのに性行為に力を入れるというのがある。

こんなのは、ファンタジーだ。

リアルな世界で、日常生活でこれっぽっちも優しくしてくれないで、性行為だけ頑張る男性なんて、怖い。ベッドだけで優しいのは、怖い。日常生活でも優しくしてよと思ってしまう。

その部分だけ頑張ることに、愛されている?と女性が思ったらより怖い。

逆にクズ男だな、誰にでもやっているな、慣れているな、という風に女性側が距離をとる描写がなければ、個人的には思考が満足しないし、楽しめない。

そのミスマッチ部分を深掘りして描くことに物語の妙はある。

そしてミスマッチ部分を描くことそれ自体もファンタジーだ。

これも男女差があって、物語の目的が性的な部分の発散だけにフォーカスしている部分が強くても読者に不満が湧きにくいのが、男性向きのコンテンツだと思う。

いずれにしても特定の部分にフォーカスしすぎた物語や描写は全てファンタジーだ。

そのファンタジーをメタ認知なしに、「本当のこと」だと思ってしまうのは、怖い。

ありえないからこそ、嘘だと思っているからこそ楽しめるような大人の思考があればいい。

ただ、成長段階の子どもや未成熟な思考力や判断力を持つ大人であれば、ネット上の全てがそのまま「本当のこと」だと思えてしまう土壌がある。

ネット上では、本当と嘘との境目が見えにくいし、多くの場合にはネット検索中に誰かが広告の意図や記事の意図、そのコンテンツの背後にある掲載者・出稿者の思惑を教えてくれるわけじゃないからだ。

商品を売りたい、認知・インプレッションを増やしたい、フォロワーを増やしたい。何かの意図があって、広告が存在する。

アテンションエコノミーが加熱している中で、人の注意を引くことに躍起になる人がいれば、必死に無視・回避しようとする人がいる。

判断するOSは、それぞれの脳にあるから、その判断基準や精度はさまざまだと思う。

私自身も自分の判断が全て正しいとは思っていない。

けれど、ネット上のファンタジーを現実に転用して、現実の人を傷つけることだけはしないようにしたい、と思っている。

元々ファンタジーな創作物の中でも、より扇情的な部分を意図的に装飾して切り取ってさらにファンタジーを加速しているのが広告だ。

まったり癒され系の広告と比べると、どうしても性的要素はインプレッションが高いのだろうなぁーと思いつつも、個人的にはまったり癒され系の広告がいいなぁーと思うこの頃。