からだ愛〜あるフェチ編〜

おなら愛。

書くかどうか迷う話題だ。

そしてあまり上品ではない、むしろ下品だと思う。さらにアダルトな要素もあるので、そう言った話題が苦手な人には見て欲しくない。

ぜひ逃げてほしいと思っている。

私はおならを愛してる。

私は家族の前でおならはできないし、新しい家族ができた今もできない。

ただ、性的な関係を結んだ時点では、当時の夫の前ではできていた。

なんでだろう?

この謎の状態を深掘りしてみると、普段の生活ではしないけれど、そういう場面ではしてしまう、というところに何かしらのフェティシズムがありそうだ。

性的な場面で普段我慢しているものを解き放つことによる、快感が倍増するというような心の動きがあると感じている。

お腹が弱いので、ご飯食べてからセックスすると出ちゃうかも、とあらかじめ伝えていたら実際にしたくなり、恥ずかしいけれど、出ちゃうと宣告してしたら……。

家族の前でもしたことないって言ってたのに、俺の前ではするんだ?なんで?と煽られる。

この人と結婚しようかなーと思っていたから、すべて晒す覚悟があった前提だ。

引いてもらったらそれまで、縁がないならそれまで、だと思っていた。

結果受け入れられたと感じていたので、気持ちよさが倍増して身体の相性値を高めたように思える。

おならを愛している。

だからこそ、基本的には人におならのことを語りたくないし、語れないがゆえに私の中ではタブー化しているものだ。

家族の前ではしない。身体の関係があって、結婚してもいいなと思った友達である、今の夫の前だけでしていた。

結婚してしばらく経った今はしない。

特別なものとしておきたいから、日常の中ではしたくないみたいだ。

当然恥ずかしさもある。

唯一の例外は、出産前の鬼気迫る場面だ。なりふり構わえずに出てしまった経験はあるし、産後1ヶ月は本当に緩くなりやすく、出やすい。胎児を送り出す大仕事の後で、下半身の筋肉が一度に収縮・弛緩するので、自分の意思で我慢するのが難しい、と言い訳をしたいと思う。

元々私自身は過敏性大腸炎の気があり、診断はされていないものの、乳製品に弱く揚げ物にも弱い。繊維質にも弱くすぐにお腹が張ってしまう。

自分自身はお腹が弱いけれど、他の女性の(家族以外の)おならをほとんど聞いたことがないので、どうして?どこでしてるの?と違和感を覚える。

思えば小学生の頃に~ちゃんてうんちする?おならする?と友達に聞かれたことがあった。女の子同士でもお互いに疑問を持つほど、隠されたものだと気づく。

そんな動機から人のおならへの興味があり、サイトをめぐり書籍やコミックを探し、動画を探していた。

探究の過程であるサイトで女性のコメントを見つけ、お尻から空気を入れてお腹を膨らませて妊婦のようにする、という実験を知り、試してみる。

部屋にたまたまあった、チューブ式の空気入れで空気を入れてみた。

変なことをしているなーと我ながら思ったけれど、人工的に入れた空気を出す排泄感を味わいつつこれは快感でもあるなぁと思う。

真似はしないでほしい。

動画を探していたのは、女性がするおならする場面を見てみたい、という動機からだ。

日本のおならの動画は生体観察みたいで、大抵女性のお尻メインのアップのものが多い。

男性向けだから?その方がいいと思っているから?制作意図や企画の意図を色々と考えるが、アダルト動画であっても、その行為を入れただけでお笑い要素との親和性が高い。

あるいはSM要素とも近しいものがあると感じる。

女性のソロショットよりも、私個人としては二人以上で出ていて物語性と関係性がある動画が好きだ。結果海外の動画の方が好みだと、ジプシーとなり長い時を経て思う。カップルや友達など、関係性がある動画が好きだ、とかなりニッチなゾーンで一旦結論をつけた。

書籍では「おなら大全」や「おなら考」をはじめとする書籍を色々とあたってみている。

金子光晴の書籍に、おならの記述があると聞けば全集を探してコピーを取ってみることもあった。

そういう描写のある一般コミックを探したり、フェチ要素を全面に出した同人?コミックを読んでみたりと、あちこち徘徊していたこともある。

必ず誰の体の中でも起こっているバイオリズムなのに、表立っては語られないおならへの愛が募っていたのだ。

我慢からの放出、という緩急に快楽を見出す。

かつてそのフェチ要素を全面に出した小説を書いてみたこともあるけれど、あまりに下品だったし、人を選ぶとわかっていたので非公開のままだ。

その後、男女間の恋愛小説や、BL小説、ヒューマンドラマ小説、ミステリー小説などで、こっそりおならの要素を潜ませることはあった。

恋愛相手の生理現象のありなしや行為の前後の仕方のない現象などなど、こっそりと描く程度だ。おなら愛を潜ませている。

これからもこっそりと潜ませていくと思う。

私は自分の体を愛しているから、自分のおならも愛している。

きつい匂いは我慢できないことがあると思うけれど、人のおならもその生理活動を愛おしく思う。

お腹が弱い、だからこそ、おならは悩みでもある。

過敏性大腸炎は、精神的な面も大きく、お腹が張りやすかったりおならは出なくても、お腹がぐるぐるなってしまったり、と苦痛が伴う場面も多い。

その辛さは確かにあるので、一概には言えないけれど。

今、この記事に通りすがってくれたあなたがもし過敏性大腸炎で悩んでいるなら、自分のお腹を愛してあげてほしい。

かくいう私も学生の頃、真冬でもミニスカートで長距離登校をしていたので、すっかりお腹を冷やしていた。腸内がかわいそうなことになっていた過去がある。

お腹がいつも痛いことに悩んでいたので、保健室のお世話になっていたことがあった。

お腹の調子が悪いなら、お腹を温めて、深い呼吸をして、お腹の消化に良いものを食べるようにして、お腹の緊張をほぐしてあげたい。

チネイザンや腸もみ、ヨガのガス抜きのポーズで、ガスを抜いてあげるのもいいと思う。

お腹の不調や過敏さは大変だけれど、体が一生懸命働いているのは、愛おしい、と思うのだ。

体のバイオリズムは、死ぬまで続く。

自分の体については滞りなく続く場合には、誰に語ることもなく、誰から語られることもないけれど、不調があれば誰かに話をして助けを求めなければいけないこともある。

私はかなりの面倒くさがりなので、そのバイオリズムを恨んでいたことがある。

本来は何かが劣化して買い換えることさえ、面倒くさい。服も一着買ったら永遠にこの服が流行りの服であって欲しいし、劣化しないで欲しいなんて、無理難題を考えていたことともある。

けれども、体は買い換えることができないから、丁寧にメンテナンスしなければいけないようだ。

死ぬまで続くバイオリズムを愛するのは難しいけれど、自分の体は愛おしんだ方が得だ。

死ぬまで使うのは、体だけだから。

遺伝子による強制的にデザインされた体だし、部分によっては文句を言いたい部分もあるけれど、自分の体を気に入っている。

自分の体は、好きだし愛してる。

そんな誰も興味ないような話題でも、人類におけるサンプル1の話としては、アリだと思ってここに書いている。